1955-11-10 第22回国会 参議院 逓信委員会 閉会後第1号
アメリカにおいては自由にやって、そうしてラジオコミッショナーの監督のもとにやっておるのでありますが、八割まではジャンクであると、こういう識者の間にきわめて明確な私は話を聞いて参ったのでありまして、また事実できるだけ機会あるごとに向うのプログラム、放送なども聞き、またテレビなども見て参りましたが、そういう点から考えてみまして、どうしてもプログラムのいいものを出すという、いかにして、どういう方法で、どういう
アメリカにおいては自由にやって、そうしてラジオコミッショナーの監督のもとにやっておるのでありますが、八割まではジャンクであると、こういう識者の間にきわめて明確な私は話を聞いて参ったのでありまして、また事実できるだけ機会あるごとに向うのプログラム、放送なども聞き、またテレビなども見て参りましたが、そういう点から考えてみまして、どうしてもプログラムのいいものを出すという、いかにして、どういう方法で、どういう
○山田節男君 それからもう一つは私AFQSの放送を聴いて、日本と比べて痛感することは、日本のプログラム放送は殊に外国人の名前とか、言葉を入れて放送することが非常にあるわけですが、どうも外国語、これは英語もあり、ドイツ語もあり、フランス語もあるのですけれども、とてつもないアクセントをして意味が分らないようなアクセントを使うことがしばしばある。